大判例

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大阪高等裁判所 昭和50年(ネ)685号 判決

原告(被控訴人・付帯控訴人)

園田美子

外一名

原告ら訴訟代理人

川村俊雄

外二名

被告(控訴人・付帯被控訴人)

右代表者法務大臣

稲葉修

右訴訟代理人

天野一夫

外二名

右指定訴訟代理人

篠原一幸

外二名

主文

1  原判決中被告敗訴部分を取り消す。

2  右部分に関する原告らの請求を棄却する。

3  原告らの付帯控訴を棄却する。

4  訴訟費用は一、二審とも原告らの負担とする。

事実

(原判決の主文)

1  被告は、原告美子に対し二〇〇万円、原告隆男に対し一〇〇万円及びこれらに対する昭和(以下略)四三年二月一九日から完済まで年五分の金員を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを五分し、その三を被告の、その余を原告らの各負担とする。

(請求の趣旨)

1  被告は、原告美子に対し三〇〇万円、原告隆男に対し二〇〇万円及びこれらに対する四三年二月一九日から完済まで年五分の金員を支払え。

2  仮執行の宣言

なお、被告は担保を条件とする仮執行免脱宣言の申立をした。

(不服の範囲)

原判決全部。

(当事者の主張)

次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりである。

一、原告らの主張

1  満期骨盤位の妊婦が前期破水で入院してきた場合、その状態の把握と、それに基づく治療指針を確立する必要がある。そのためには医師の診療、少くとも医師への報告と医師の状況判断、指示が不可欠である。しばらく妊婦の経過を観察する場合でも、臍帯脱出の発見後医師が直ちに的確な措置をとるためには、事前に妊婦の来院を知り、いつでも直ちに必要な措置がとれるように準備することが絶対に必要である。

2  医療過誤訴訟において病院等のとるべき措置として要求されるものは、規範的なそれであつて、現実の医療の実態をそのまま追認するものであつてはならない。規範的な視点から医の現実を的確に批判するのが司法の役割である。

3  本件慰謝料請求は、相続的構成をとる場合の両親の固有の慰謝料請求とは異なり、胎児の死亡による全損害(いわば胎児の生命の価格)の賠償としての慰謝料請求である。

そして本件においては、胎児(男児)は母胎内で健やかに成長し、月満ちてまさに誕生の直前、病院側の不注意によつて死亡するに至つたものであるから、その損害賠償額の算定については、胎児が生後直ちに死亡した場合と同様に考えるべきである。交通事故によつて生後直ちに死亡した零才男児の損害は、低く見積つても一〇〇〇〇万円を下らないのであるから、原判決認容の慰謝料額は低きに失する。

二、被告の主張

わが国の産科診療では、本件症例のような場合、入院時(午前四時ごろ)に内診と胎児心拍の聴取をした後、自然の陣痛を待機するため病室で安静させ、特別の異常がなければ、午前九時ごろにもう一度内診と胎児心拍の聴取をするのが平均的な措置である。

なお、本件の場合臍帯脱出の発見後医師が帝王切開分娩が適当と判断して直ちにその準備にとりかかつたとしても、最低三〇分以上の時間を要するのが通常であるから、胎児の死を防ぐことは不可能であつたものといえる。

(証拠)〈略〉

理由

原告らは、本件胎児の死亡は、大西助産婦と西垣看護婦の処置を誤つた過失によるものであつて、これにより筆舌に尽しがたい苦痛を被つたと主張して請求の趣旨どおりの金額の慰謝料を求めているので、以下判断する。

一胎児死亡に至るまでの経緯

1  〈証拠〉によれば、原告らは三六年五月二二日に婚姻の届出をした夫婦であることが認められる。

2  原告美子は四二年春ごろ第二子を懐妊し(出産予定日は四三年二月二三日)、国立篠山病院において前田徹医師から継続的に診察を受けていたが、四三年一月ごろ同医師より「骨盤位であるため早期破水のおそれと、それに引続いて臍帯脱出のおこる可能性がある。そうなると胎児の生命に危険が生じるから早期破水をしたら昼夜を問わず直ちに来院するように。」との指示を受けていた。同年二月一八日午前四時ごろ、原告美子は就寝中に突然破水したので、右指示どおり直ちに同病院に行き、同日午前四時二五分ごろ同病院に勤務する当直の大西清子助産婦に対し、骨盤位で前期破水し、羊水が大量に流出したこと、前田医師から前記の指示を受けていることを告げた。

以上の事実は当事者間に争いがない。

3  〈証拠〉並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  同夜の当直大西助産婦は二十数年の職歴を有するベテランであつた。右入院直後の午前四時二五分ごろ、大西助産婦が原告美子を内診したところ、同原告は骨盤位で、すでに破水していたものの陣痛はなく、羊水漏出はわずかであり、子宮口は未だ一指通過の状態で開口部が堅く、また児心音は正常であつた。

同助産婦は一般に、子宮口がやわらかくて開大し、陣痛を伴つていれば臍帯脱出のおそれがあるけれども、子宮口が堅くて開大度も不十分であり、かつ陣痛がなければ臍帯脱出の可能性は少いと考えていたので、原告美子の右症状では、今のところ臍帯脱出の危険性はないものとして、自然の分娩を待つため、同原告に対し陣痛があるか又は異常を感じたときはすぐに連絡するように注意を与えた上、病床で安静に休ませた。そして、午前六時の検温時と午前七時の配膳時に同原告に様子を尋ねたところ、腹部が張るとの訴えと、羊水の漏出がとまらないという訴えはあつたが、特に異常はないものと判断した。

(二)  大西助産婦はその後午前八時二五分ごろ、同病院勤務の西垣美津枝看護婦(助産婦の資格を持つ。)に引継をするに当り、同看護婦とともに原告美子を内診するために、同原告を分娩室に入れた。その際西垣看護婦は、大西助産婦から同原告の症状を聞き、コルボイリンテル(羊水漏出等を防ぐ器具)等の器具類を用意した。そして、まず大西助産婦が内診したところ、子宮口は二指開大の程度であつたが、臍帯脱出の疑いを持つたので西垣看護婦と内診を交替した。こうして二人とも二回ずつ内診した結果臍帯脱出を確認し、児心音を確めると一〇〇前後の微弱なものとなつていたので、同看護婦が直ちに胎児のために同原告に酸素吸入を開始する一方、大西助産婦は直ちに(このときの時刻は午前八時四〇分ごろ)同病院庶務当直を通じて、同病院構内宿舎にいた前田医師に右状況を伝えた。前田医師は、たまたま前夜他の出産に立会い、かつ本件当日は日曜日でもあつたので就寝していたが、右連絡を受けてから約一〇分後の午前八時五〇分ごろ分娩室に入り、同原告を内診した結果、臍帯の拍動を触知することができないし、児心音の聴取も不能であつたので、子宮内胎児死亡と診断した。

二同病院産婦人科の時間外医療体制

前掲各証言によれば、四三年二月当時国立篠山病院の産婦人科専門の医師は、同科の医長である前田徹医師一名であつたこと、同科では深夜・早朝等の通常の勤務時間外に患者が来院したときは、当直の助産婦がまずこれを診察し、母胎と胎児の生命に危険を及ぼすような異常所見を認めた場合は直ちに同医師に報告をするが、そうでないときは助産婦が一応経過を観察してその判断により適宜の措置をとることになつており、当直助産婦は一名であつて、入院患者約二〇名と新生児十数名の世話をしていたことが認められる。

三本件に関係する臨床医学の水準と医療処置

〈証拠〉を総合すると、次のとおり認められる。

1  意義

(一)  骨盤位とは、胎位異常の一場合で、俗に「さかご」といわれるものであり、胎児の骨盤端が下向し、児頭が子宮底にあるものをいう。(これに対し正常な胎位を頭位という。)

骨盤位は、分娩時先進する部位によつて、臀位(単、複)・足位(全、不全)・膝位(全、不全)に分類される。死亡直前の原告美子の胎児(男子)は不全足位であつた。

(二)  前期破水とは、分娩開始以前に卵膜が破綻した場合をいう。妊娠末期における前期破水と分娩開始後の早期破水の場合は、炎症その他の原因によつて卵膜がもろくなることが誘因となるほか、骨盤位などの胎位異常も原因となる。

(骨盤位の中では足位が一番破水しやすい。)前期破水と早期破水とを合せて、広義の早期破水と称することがある。

(三)  臍帯下垂とは、破水前に臍帯が胎児先進部を越える場合をいい、臍帯脱出とは、破水後臍帯が胎児先進部を越えている場合をいう。骨盤位と広義の早期破水はその原因に数えられる。

2  臍帯脱出の発生率

成書によれば、分娩総数中に占める発生率は0.37%にすぎないが、胎位異常による臍帯の脱出は極めて多く、頭位の場合の0.24%に対し、骨盤位では2.5%の脱出例があり、後者は前者の一〇倍以上の頻度を示している。また初産婦よりも経産婦が多い。

3  臍帯脱出の場合の経過

骨盤腔に進入した胎児先進部が脱出した臍帯を圧迫すると、血行が制限されたり又は停止し、胎児は遂には仮死に陥る。血行の停止後五分ないし七分以内に死亡するのが通常である。頭位では臍帯が圧迫される危険が最も多く、骨盤位ではその危険が少い。(特に足位の場合は、先進部が小さいため、脱出があつても実際には臍帯の圧迫はおこらないとされている。)

4  前期破水の場合の処置

妊娠末期に破水を見たときは、通常破水後一〇ないし二〇時間後に陣痛が発来する。そこで患者に側臥安静を保たせ、羊水の漏出と臍帯脱出などの合併症を防ぎ(胎位異常のため臍帯脱出が予測されるときは、側臥位が効果的である。)、感染を避けるため内診を制限するとともに、消毒を厳にして抗生物質サルフア剤を与え、感染を予防しながら待期的に処置する。

5  臍帯脱出の予知と診断

(一)  臍帯脱出の予知は一般的に不可能といつてよい。これを早期診断するには、内診によつて子宮口又は腟内に脱出した臍帯を直接触知する以外にはないが、補助的には胎児心音の聴取がある。しかし、これは四六時中産婦につきつきりで聴取を継続しなければ、確実な効果を望めない。(近時電子医学の発達によつて胎児心拍の把握が可能となり、かなり高い頻度で早期診断をすることができるようになつたが、四三年当時はまだそのような状態になかつた。)

(二)  内診の時間的間隔については定説がないが、陣痛の発来時や破水時、さらには妊婦が胎動を激しく感じたときなどには、臍帯脱出の危険性を考慮して内診をする必要がある。内診の回数を多くすれば、臍帯脱出の早期発見にはつながるが、逆に母胎と胎児に感染の危険性が高まる。わが国の臨床医学の水準からいくと、仮に午前四時半に内診と児心音の聴取をすれば、特に異常のない限りその後は午前九時ごろに内診と児心音の聴取をするのが通常である。

(三)  臨床医学的に見れば、陣痛が発来して子宮頸管がより開大すると、臍帯が脱出しやすくなり、脱出の可能性が大きくなる。逆に陣痛のないときは、一般的に頸管の開大度が十分でないので、臍帯脱出もおこりにくいということができる。

6  臍帯脱出に関する措置

(一)  第一の方法としては、特に積極策をとらず、自然の陣痛を持ち、経過を観察する。

臍帯脱出が発見された場合、子宮口が全開大に近く経腟的に分娩可能のときは、骨盤位牽出術を用い急遂分娩を試みる。子宮口の開大が不十分な場合は、帝王切開分娩がとられる。(帝王切開手術が採用されるまでは、用手又は還納器で臍帯を還納する方法がとられていたが、その効果はほとんど期待することができなかつた。)現状ではこの帝王切開手術を即刻施行することは困難であるから、その間に臍帯還納術や骨盤高位などの補助的措置がとられる。これらの措置はあくまでも手術開始までの補助的手段にすぎないから、この措置自体で胎児を救うことは困難である。

(二)  第二の方法としては、羊水の漏出と臍帯脱出の進行とを防止する目的で、子宮口内又は腟内にメトロイリンテル又はコルボイリンテル(ゴム風船のようなもの)を挿入する。この方法は昭和三〇年代まではしばしば試みられたが、胎児と骨盤とのすき間に臍帯が入りこむことを防ぎきれないし、感染の危険性も非常に強く、また産婦に持続的な痛みを与える等の理由から、最近ではほとんど施行されていない。

7  胎児の予後

臍帯脱出による胎児の死亡率は極めて高率で、関東逓信病院産婦人科部長篠原弘蔵外一名の調査によれば、その死亡率は68.3%で、臍帯発見時には胎児の約三分の一はすでに死亡しており、残りの生存児の死亡率も52.9%に及んでいる。もつとも近時抗生物質の発達と帝王切開手術の普及に伴い、診断時に胎児が生存していれば、その死亡率は九%にすぎないとする成書もある。

四過失と相当因果関係

1  大西助産婦が直ちに医師に連絡しなかつた点について

原告美子は骨盤位で前期破水の状態にあつたから、臍帯脱出の危険性があつたことは否定できない。しかし同原告は入院時陣痛はなく、羊水漏出はわずかで、子宮口は一指通過の状態で堅く、児心音も正常であつたのであるから、大西助産婦がこの症状を見て、今のところ臍帯脱出の差し迫つた危険はないと判断し、自然の陣痛を待つため同原告に安静を命じたことは、前記三の4、5(三)、6(一)に照らして妥当な判断と措置というべきである。そして前期認定のように、担当医師に連絡するかどうかは当直助産婦の判断に任されているのであるから、同助産婦の右判断が妥当なものである以上、同助産婦が直ちに前田医師に連絡して同医師の診察を求めなかつた点を非難することはできない。

2  臍帯脱出予防器具を準備しなかつた点について

前記三の6(二)のとおり、コルボイリンテル等を使用して臍帯脱出を防止する方法は適切なものといえず、また前記三の6(一)のとおり、臍帯還納器具を使用する方法はその効果を期待することができないのであるから、右の段階で大西助産婦がこれらの器具の準備をしなかつたことについて、責められるべき点はない。

3  ひんぱんに児心音を聴取しなかつた点について

大西助産婦が、原告美子の入院時にこれを内診して児心音を聴取した後、午前六時と午前七時に同原告を問診した結果、特に異常がないと認めて(この判断に誤りがあつたと認めるに足る証拠はない。)、次に午前八時二五分ごろ内診と児心音の聴取をしたことは、前記三の5(二)のとおりわが国の産科の臨床水準からも妥当なものといえるのであるから、同助産婦がそれ以上に児心音の聴取をしなかつたからといつて、過失とはいえない。

4  臍帯脱出発見の際臍帯を還納しなかつた点について

大西助産婦と西垣看護婦の両名が臍帯脱出を確認した当時、子宮口は未だ二指開大の状態であつたのであるから、前記三の6(一)のとおり、帝王切開分娩以外には胎児を救う道はなかつたものと認められる。したがつて、右両名が脱出確認後胎児の死亡までの約一〇分間に、胎児の死を防止することは、不可能であつたものと考えられる。そうであるなら、右両名がその間に胎児の死亡を防ぐことができなかつたからといつて、これを右両名の過失にすることはできない。

五結論

そうすると、出産の喜びを目前にして突然胎児を失つた原告らの悲哀は察するに余りがあるが、本件は当時の産科の臨床水準から見て妥当な判断と措置をとつたにもかかわらず、不測の結果を見るに至つた事案であるから、胎児死亡の結果について、大西助産婦と西垣看護婦の責任に帰することはできない。したがつて、原告らの請求は、その余の判断をするまでもなく失当として棄却を免れない。

そうすると、被告の本件控訴は理由があるから、原判決中被告敗訴の部分を取り消して右部分に関する原告らの請求を棄却し、原告らの付帯控訴は理由がないからこれを棄却し、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(前田覚郎 藤野岩雄 中川敏男)

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